Be My Last

最後のひとくちは大体落とす。両手いっぱいに幸せがジャラジャラと音を立てて落ちる。溢れた数粒の出来事を不幸と呼ぼう。幸せは沢山ありすぎてもう数えられない。溢れた粒が輝いて見える。イチ、ニ、サン、シ、大切に数えては言葉にすることを繰り返す。不幸は安寧への最短ルート。不幸ぶっちゃいけない。幸せになりなさい、安心から離れなさい、溢れた粒は誰かの両手へ届けなさい。明日、初めて1人で飛行機に乗る俺に乗り方を教えなさい。

俺もそう

宗教もスピリチュアルも圧倒的に信じていないけれど、出勤前に見るちいかわ占いだけは信じている。「身体はただの入れ物」と冗談で言っていたボーカリストを知っているが、俺もそう思う。人はいつか死ぬし、身体は燃やされて灰になる。ではなぜ、こんなにも色々な思いをしながら生きていかなければいけないのか。寝る前にスイカを食べておねしょをして怒られたこと、どこに連れて行かれるのか分からない軽トラに乗せられ見た山の景色、ニコニコしながら持ってきたピンセットで耳毛を抜けと指示を出されたこと、「あんま美味しくねぇな」と言いながらモリモリご飯を食べていたこと。死んだら全て終わりだと思っていたけれど、色々あるじゃん。全然悲しくないな〜人間としてどうかしてんのかな〜って思っていたけれど言葉にしてようやく泣けたゼ!死んだ本人には何も残らないけれど、身体から離れた誰かの記憶には残るし、その積み重ねをすることが生きることなのか?知らん。その人のことを忘れたら本当の死とか誰か言ってたけど、まじでうるせえからもっと知らん。俺が絶対忘れないからみんな存分に死んでちょうだいな!

グッバイ祖父!ハイ!ハイ!灰!

Mind Trippin'

人生には考えなければいけない事と考えてはいけない事が沢山ある。ラーメンは大好きだが厨房を見ることはできない。人間は細胞の結晶だとして、なぜ身体の形を留めていられるのか。蟻は人間を知っているが宇宙は知らない、人間は宇宙を知っているがその先は知らない。家族は何を考え何を思い日々を生きているのか。朝の通勤時に思う、これまでの人生。寝る前に思う、これからの人生。

「しあわせ」

1.【仕合(わ)せ】 《名》まわり合わせ。運。なりゆき。
2.【仕合(わ)せ・幸せ】 《名・ダナ》運がよいこと。幸運。幸福。

しあわせとは何だ、頭の中をぐるぐる回る。日々に不安がないことか、金銭的に時間的に制限がないことか、体重と胃もたれを気にせず食べたいものを食べることか。しあわせと推定できる事柄を感じた瞬間を思い出すと人間、言葉、食事、音楽、セックス、景色、文学、映画。しかし振り返れば全てその事柄自体はもう見えない。振り返り見えるものは生まれてから死ぬまで、どこで曲がり迷いスピードを出しても逃げられない自分だけだ。髪をほどき服を脱ぐ。人間、言葉、食事、音楽、セックス、景色、文学、映画に守られることのない裸の自分を愛せること、愛せる自分を作り上げるために得るか失うか選択をすること、その選択をできること自体がしあわせなのかね。やっぱりわからねえ。わからねえからラーメン二郎ひばりヶ丘店でしあわせを得ることを選択したい。あと途中から何書いてるかわからねえのよ。振り返って見えた俺もわからねえって言ってた。

ハピネス

syrup16gのハピネスを聴くと2013年の冬を思い出す。大学卒業目前、大学の同期でもあったバンドのメンバーが就職したいからバンドを辞めると電話してきた。怒ったと思う。酷い言葉も言ったと思う。自分の曲では売れる未来が見えない不甲斐なさ、就職しないでついてきて欲しいと言えない無力さ、お互い頑張ろうなと優しくなれない強情さが頭の中でぐるぐると回るだけ回って、涙は出なかった。今となってはそんなにも極端な岐路にいたわけではないと笑えるが、普通の幸せとは、当たり前の人生とは、もう俺には無理かもなとか毎日毎日考えていたな。数週間後、アルバイトの帰りにボーっと乗っていた電車で聴いていたのがハピネス。ようやく自分の気持ちに素直になれて、東武東上線の下板橋から朝霞台までの間、ハピネスを聴きながらめちゃくちゃに泣いた。周りの人、普通に怖かったと思うメンゴ。

約10年が経ち、30代に突入した我々であるが、大学を卒業し、あっという間に結婚して子供が2人いて、幸せそうで良かった。バンドを辞めて就職したこと、絶対に間違いではなかった。でも俺もバンドを続けたこと間違いではなかったと思う。

その人に限らず、音楽を辞めていった元メンバーや結婚したり生活が変わったりしてライブに来なくなったお客さん全員に聞きたい。

いまも音楽を聴いているか?俺は変わらず聴いているぞ!

もう一度ちゃんとバンドをやろうと思う。

ミュージック

映画ノルウェイの森を数回観ているが「こんなだったっけ」と「僕はどこにいるのだろう?」を毎回噛み締めては忘れる。人、死にすぎだしセックスしすぎ。人が死ななくて、セックスシーンがない作品が好きと誰かに言われた記憶があるなと1日中モヤモヤと考えていて、ようやく思い出したのは村上春樹風の歌を聴け」の作中だった。

私が誰かを思い出すように、その誰かは私を思い出す時間はあるのだろうかと考える事がある。私が誰かを思い出すとき、間違いなくその過去の時間と場所に相手は存在している。けれど、相手が私を思い出す事が無ければ、本当に私はそこにいたのか?などと供述しております。さようなら。

走馬灯

夏バテしている気がする。夏は(倒れないのに)倒れちゃうから食べなきゃ精神でバクバク食い過ごしてきたが、あまり食えない。眠れない。頭が回らない。

有線で流れていて良い曲だったねと探し見つけ、車で流した曲がVaundyの走馬灯。1人で聴くと別にそんなに好きじゃなかった。

人間に対して、色と曲をイメージ付けて記憶している事に文章を書きながら気がついた。その基準で自分は何色だろうかと考え始めれば、自己嫌悪と内省が止まらなくなる。やばいやばい風呂の窓を開けてうるさい蝉の声でも聞かなきゃとイヤホンを外すと蝉なんで鳴いてないん?あと隣家のベランダにいるおじさんと目が合った気がするちんちん

光、再考

ダイエットをしていないのに1年間で10kg痩せていた。社会に出て働くってこんなに痩せるの?病気なんじゃないの?と不安になる。あれだけ痩せようとしていたのに、不本意な状況に陥ると恐怖を抱くのが人間らしくて、いいぞ。

会社での昼食は必ずセブンのおにぎり2個のみ、わさび飯と赤飯。心の中で「今日もちゃんと出社してえらい!お祝いだから赤飯!」とニヤニヤしながら食べている。あまり美味しくないのが食欲が抑えられて良い。

自分の全てを好きになる事は生きているうちは無理そう。でも100%じゃない自分も自分が許す事、生きているうちに身につけたいと思う。このまえ家で生活していただけなのに普通におしっこをしっかり目に漏らしたけど許しちゃうぞ☺️

人と会話をするにあたり、自分は心を切り売りすることを方法にしているなと思う。疲れるとか嫌だという感覚はないが、切り売りしている物が自分の全てだからこそ、焦りを感じる。1番の核が売れてしまったらどうなるのか。「何を考えているのか分からない」は散々言われてきて、その都度何も考えていないと本心で返していた。他人の心に土足であがり核に触れるのに、売り切れを気にして軒先に出しもしないなんて、確かにずるかったな。本当は触れられたいとも思う。店の奥で頑丈な金庫で守られているもの、開けたら赤飯しか入ってないかもしれないけど。